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年末の雑談その1

  1. 2014/12/26(金) 17:57:45_
  2. 未分類
  3. _ tb:0
  4. _ comment:0
今日は仕事納め。
私はお休みを頂戴しまして、本日から年末休みです。ちょー寒いので、家の中で犬の散歩用綿入りを着込んで娘の部屋を片付けておりました。・・・・・・片付きません!
メロディは、うっかりしていましたが、明日発売ですね。


 
 


というわけで、いきなりですが、す○っぷ細胞の話です。
部下Yは、いわゆる研究所とかいうところで事務をやっているわけですが、今年度初めあたりからコレ関係で、今まで以上に厳密に仕事を管理せよという方向であれこれありました(私自身はそんなでもなかったが)。もっとも、私が原罪、いや、現在(変換が・・・)やっている仕事は、もっともっと幻覚に、いや厳格に(うげげ・・・)やりたいなーくらいの状況なので、ちょっと結果オーライなので歓迎すべき状況です。話題になった「研究ノート」というものも、私の職場では数年前にTさん周辺で騒ぎになったことがあるため、現在はすでに結構ちゃんとしてますよ。
でも、ちゃんとしているのも結構大変で、というのも、OKだからスルーされるわけではなく、何かだめなところをとことん探して、もともと90%くらいのデキのところを120%まで上昇させるようなことを要求されるのが、面倒なんだなーまったくもー。

でね、「自由な研究」と二言目には言いやがるんですよ、みんな(ってどこのみんな?)。「自由に研究がしたい」。「自分の研究がしたい」「自由にサンプルを海外の研究所に送りたい」
はあ、そうですか、それでその「自由」ってのは何なんですかね? どこから持ってくるんですか、自分で作るんですか、誰かがくれるんですか?

その研究費、どっから出てくるんですか? 自分が商売で稼いだお金ですか? ←これを言っちゃあお終いよっ(笑)

O氏が退職となったことについて、免職ではないかというネットのコメントがあったが、それではその研究に予算を付けた側の責任も問われなくてはなるまいて。だから、費用の返還という考えもおかしいと思う。返還させたら、これまで人類に使われる成果のなかった研究はすべて返還されなくてはならないし、それでは研究という活動そのものがなりたたなくなるだろう。
無駄金とは言いたくないだろうが、言われても仕方がない側面がある、それが研究だ。役に立たなかったという結論を出せば、後に続く人がそれをやらなくて済む、それが、役に立ったということだ。

そんなこんなで、4月から組織がまた変わるんですけどさ(全国的にあちこちで変わるんですけどね)、何だか事務関係がすごーく細かくなって、どんどん減らした事務職員をバイトや派遣で増やしてくれないかしらん、かといってどんぶりにすると毎年どこかの研究所で何かが起こるし、何か役に立つものくらい作らないと、なんというか、すねかじりのごくつぶしのニートの引きこもりみたいで、日本の借金の増加に貢献してしまっているのではないかと・・・・・・まあ、私はその人達のお陰で仕事が発生する立場なんですけどね。

話は戻って。
私の疑いを、ここにメモっておきます。
す○っぷ細胞の件では、元上司(違ったかも)のあの先生が、直接の被疑者(?)だと私は思っております。
まず、いち早く泥舟から逃げ出した、そのタイミングが早すぎる。そして論文共著者と相談せずに、単独で記者会見をいきなり開いた。誰も聞いていないのに、「自分はこの範囲しかやってないから、関係ありません」みたいなやり方をするか、普通?
疑惑初期のころにネットにあった、製薬会社の関係が黒幕というやつなのでしょう。それがES細胞であれなんであれ、効果のある薬が出来るという「未来」ができただけで金儲けをすることができるのだから、後で薬自体がむにゃっとなっても稼いだ金を持ってトンズラすれば良いのだから。
細胞もネズミもすり替えが可能で、渡されたほうはそれが自分の発注したものだと信じている。
詳細は忘れたけど、ネズミが違うとか言って、でもやっぱり自分のネズミだったということになって、でもそれを発信したのは本人じゃなくて学生か誰かだったという話が、一番変なんだよな。

では、論文が再現されないことは分かっていなかったのかという点は「難しくなって、自分には分からない」と言っていたが、本当にどれだけ論文に穴があるのか分からなかったので、いずれボロが出るにしてもこんなに早いとまで予測できなかったのではないか、と思ったわけです。

なんといっても一番怪しいのは、マスコミがその点をまったく追及しないことだ。別に本当に怪しいかどうかは問題じゃない。全方位的に事実関係を検証しない、検証から漏れているのは誰だと、そういうことです。

昔、国研だったころは、してはいけないことが今に比べて多かった、というか、することに決まっていることをしていた、という感じかな。でも、お陰様で、例えば海外の学会に出る人は限られるから、そのために公用旅券を手配したり、旅費を払ったりする件数も格段に少なかったし、学会で話をする相手も限られていたし、お友達も限定されていた。それが現在では公用じゃなくなったものだから100倍くらいの人が海外に出るし、年がら年中旅費払ってるし、何をしゃべってくるか分からないし、誰と知り合いになってるか分かったもんじゃないし、そう言えばマイルの話もあったし、・・・・・・1000倍くらい仕事増えてます。
それで、方方で問題が起こって、自由を手に入れたはずなのに規則がどんどん増えるわけですが、大方、ことの始まりは、ご本人様の自由な行動が発端なことが多いのです。
あと、いっつも腹が立つのが、「そう、思ったから」ってやつ! 「思った」? どこに思うことが書いてあるんだ!? 勝手に思うな! 書いてなかったら、思っていいのか? ぷんぷんっ。


そんなこんなでつらつらと思い巡らすに、「自由」というのは、自分にどれだけ制約を課すことができるか、枷をはめることができるか、ということが自由の価値を決めるのだろうなと、お仕事しながら何度も思う、この一年でありました。


お読みいただいてありがとうございました。

また、パソコンが調子悪いから、いつブッチンとなるかびくびくしながら使っております。やれやれ。


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部下Y(イプシロン)。清水玲子先生の「秘密-トップ・シークレット-」を愛するブログです。

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